続きです。
Q:最初は何の為に料理人になることを選びましたか?
A:実は、私は大学の機械科を卒業して、自分の生家が百年続く料理屋だったので、料理人のスタートを切ってしまいました。
大学で学んだ事を使って人生を生きるという事もあったんだと思いますが、やっぱり子供の時から料理が好きだったので自然にこの道に入りました。
Q:小山裕久様が料理を学ぶ時のことを教えてください
A:少し質問が難しい、というかよくわからないのですけれども、私が料理を学ぶという事は、最初の十年間くらいは、特に修業時代は、人から学ぶ、本から学ぶということがありましたけれども、自分自身の基盤を作ってからは、学ぶという事はあまりないように思います。
ただ、一年365日24時間いつもなにをどうしたら美味しいのかなとか、何か作り出せる事はないのかなみたいなことを考えて人生を送っています。
そういう生き方を作り出す事を若き日に学んだように思います。
ですから、今は人生そのものが料理をするという事になっているので、逐一何を学ばなければならないかとか、知識を吸収しなければならないかということを殊更考えなくても、それこそ映画を見ても、本を読んでも、自然を見ても、雨が降っても、それはそれで日本料理の精神とお客様に、美味しいものを食べさせたいという心がマッチをして日々の積み重ねになっていくように思います。
Q:どこに料理を学びますか。
A:どこにと言われても、なかなか難しいんですけれども、私は今年60才になりましたので、今は私の生涯の構想であった新しい店に三年前から引っ越してきました。
ここは本当に私どもが一番得意とする鳴門海峡の鯛のところに居を構えておりますので、早朝や夕方などに魚の居る場所に行ったり、吹く風や雨の具合によって自然を感じたり、あるいは敷地の中に畑があって色々な野菜を作っています。
その畑の土の中から抜いて来た野菜の味を見たりとか、あるいはお店の窓から眺める鳴門海峡の海の色が、日々ブルーになったりグレーになったり、鉄のような色になったり紫色になったり、きらきらと銀のように輝いたり、毎日変わる自然の中から学ぶ事が出来る事になったように思いますし、そこから学ぶものが一番大きいと思います。
Q:小山裕久様の本の中に「料理を学ぶ最初の日に、先に何をするかわからなかった」と書いていますが、それはどんな状況ですか?
A:どの本のどこに書いてあったのかちょっとよくわからないのですが、多分一番最初私が修行した料理屋の台所におりた時、先輩は誰も指導もしてくれないし、指示もなかったし、料理場の隅にぽつんと立って誰かが何か言ってくれるのを待っていました。
一時間ほど経った時に、突然ごぼうを五本貰ってこれを洗えという風に言われました。
それからその後続く沢山の仕事をこなす仕事の中で最も感動して嬉しかったのは、最初にごぼうを五本洗えと言われたこと、ただごぼうをどこまで洗えばいいのか、どんな風に洗っていいのかも指導はなかったので、脇目も振らずにただ五本のごぼうの土を落として束子で擦りました。
そういう事がしかし私の料理人としてのスタートになったということを今でも鮮明に覚えています。
Q:徒弟(最初に料理を学ぶ時)の仕事は何ですか?野菜きり?キッチンの掃除?
A:私たちが今から40年前に料理の修業を始めた時は、日本料理の世界は本当に厳しいものでした。
私たちの先輩や師匠、特に料理長は太平洋戦争に行って兵隊で、日本に帰って来て、また料理人に戻ったというような人が居て、非常に軍隊式の厳しい指導の中で学びました。
ですから、なにかと言われれば掃除をするのも当たり前、野菜の準備をするのも当たり前、そういうことは仕事の中には入っていませんでした。
仕事というのは何かできるようになった時に、君これをやってくれるかと言われた時に初めてするのが仕事で、料理場の掃除をしたり野菜の下ごしらえをしたりするのは仕事に入る前の準備と言うか、あるいは掃除をするのは当たり前という当然の仕事としてやらされました。
それは、私にとっては今身に付いて役に立っているようにも思います。
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続きます。




